外にいる対、内にある対
自分にとってなくてはならないもの、それは他人の存在。
他人と出会い、そして交わることで、対(ツイ)の概念が生まれる。二つそろって一組となるもの。自分が自分であることを証明するもの。
他人が自分にとって対のもう片方だと信じることで、いちばん小さな社会がはじまる。
一方で、なくてはならない他人がどこにもいないとき、あるいは感じられないとき、何が起こるか。孤独が起こる。
そして初めて気づくこと、それは自分の中にすでに存在する対。
そこに自分だけの社会がはじまるのだろうか。
他人とは自分の外にいるのだろうか。あるいは自分の中にも在るのだろうか。
自分の中にいる他人が、自分という存在を証明してくれることは、果たしてあるのだろうか。
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